六つ目のとびら

熊 文子

100号と旅する


日誌 by 熊 文子  on 11月20日 2015

去年の12月、浜松へ行った時に撮った写真。これが今描いている100号のはじまり。冬晴れの空、冷たい海風、潮の香り、対岸の遊園地の観覧車。かもめの羽ばたきに視界を遮られ、距離感を失い、私の存在、時間の感覚が曖昧になっていく恍惚とした体験。海辺から離れた後もその鳴き声がしばらく耳の奥に残った。

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それから自分の内側に絵の構想が点在しているのを意識しながら数か月をのらりくらりとやり過ごし、ようやくエスキースに取り掛かったのが8月、夏の終わりだった。小さく描いたエスキースを100号に写すと、なんとスカスカで自分の中に決まっていないことが多いのかを痛感した。人物の顔を何度も描き直し、ポーズを変え、その度に辻褄が合わなくなって途方に暮れた。

「私はそもそもどんな思いでこの絵を描き始めようと思ったのか?」

「私はそもそも何を美しいと感じ思考してきたのか?」

そんなことを自問自答しながら絵と向き合う時間の中で私はモデルそのものを描くことをやめた。私がこの絵で描きたいのは「女神」だったのだと気付いたからだ。閃いたのはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」、これにヒントを求めた。ボッティチェリを調べると、私が好きなラファエル前派の人々が19世紀に彼を再発見したとあった。美しいと心惹かれるものが一本につながったように思え、よしこれで行こうと心強くした。

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  不思議なことに描いている絵から影響されることもある。叶わぬ片思いを綴った手紙がかもめとなって想う人に届けばいいのにという設定であったが、なんだかそれでは違う気がして恋のはじめの募る想いが思わず溢れ出てしまった、そんな風に描いてみたくなった。そしてこの想いが通じればいいのにと髪の毛ひとすじひとすじに願いを込めた。100号にディテールはそれほど重要ではないのかもしれない。でも鑑賞者に気付かれなくてもいいから、まるで自分への挑戦のように描写したくなることがある。そしてそれが絵を支える強さになるのではないかと信じ自分に課す、ただそれだけなのだ。

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  もう少しでこの絵は完成する。旅のおわりが近づいている。また100号を描くのか?と尋ねられても、「はい」とすぐには返事できない。正直、100号を描くにはまだ力不足であったと感じている。でも、この3か月の間に助言や励ましを下さる方たちがいた。川嶋先生やアトリエエビスの方々、私たちに100号を描く場を提供してくれた城さん。それに黙ってそばで一緒に描いてくれたアトリエ仲間がいた。自分でしか自分の絵を描くことはできないけれど、きっと1人ではここまでやれなかったと感謝している。

グループ展のタイトル、「六つ目のとびら」。初めのうち100号のキャンバスは私にとって大きな「壁」だった。でも今はこの経験で得たものがあったと手ごたえを感じている。振り返った時にあの時の100号は今に続く「とびら」だった、そう思えるようになっていたい。